地盤が関わる災害について(12/10)

 APLAの皆さん、こんにちは。

 新年度に入って以降、愛知・岐阜・三重・静岡の4県と名古屋・静岡・浜松の3市、岐阜大・三重大・静岡大・名古屋大 が共催した「4県3市&4大学の連携シンポ」、消防団が中心になって開催した「にっぽんどまんなか安心安全防災フェア」、あいち防災協働社会推進協議会が 中心となって実施し愛知県知事・名古屋市長・愛知県商工会議所連合会会長・中部経済連合会会長・名古屋大学総長・防災のための愛知県ボランティア連絡会代 表者・なごや災害ボランティア連絡会代表が調印した「防災・減災カレッジのキックオフイベント」、消防団を中心にした「どまんなか安全安心フェア」、名古 屋大学減災連携研究センターの発足記念シンポ、高校生防災セミナー、気象台の防災講演会、前述の防災・減災カレッジ、被災地のミュージカル NaNa5931など、豊田講堂を中心に数多くの防災イベントを実施してきました。いつも、多くの方々が参加いただき感謝しております。これらの行事を支 える方も毎回異なっており、私たちの地域の力強さを感じています。秋にはさらに様々な行事が続くと思います。どうぞ、これからも、宜しくお願い申し上げま す。

 さて、本日は、地盤災害について、お話をしたいと思います。多分、この原稿が届くときには、南海トラフ巨大地震の被 害想定結果が公表され、世の中はそのこと一色になっていると思いますが、私がこの原稿を書いている時点では、結果が公表されていませんので、被害予測結果 について触れることはできません。とんでもなく凄まじい結果になっていると思いますが、今回はご容赦ください。

(1)地盤はどうやってできる?
東日本大震災で話題となった地盤災害には、液状化(津波の転倒、浦安、旧河道、水郷)の被害、宅地造成地の被害、ため池の堤防の決壊、亜炭鉱の陥没、な どの被害があります。また、地盤の硬軟により揺れの強さが異なるため、軟弱な地盤で大きな被害が出たり、それぞれの地盤ごとに揺れやすい周期があるため、 建物の周期と近接したことによる共振の問題などもありました。これらの災害の発生は地盤のできかたによって左右されます。

一般に、新しく堆積した地盤ほど、十分に締め固まっていないために軟弱です。新しく堆積した場所は、かつての海や湖沼、河川の周辺などです。こ れらの水辺は低地にありますから、結果として、低地の地盤は軟弱で、また地下水位も浅い位置にある場合が多くなります。川の流れを見れば分りますが、上流 部は急流で下流部ではゆったり流れます。流れが速いときには、軽い粒子は水と共に流れ、重い石ころだけが沈みます。このため、河川では上流部には粒度の大 きな岩や礫が、下流部には小さな砂が堆積することになります。さらに、湖沼や海の中は静かですから、泥のような微粒子でも沈みやすくなります。このよう に、上流部から下流部にかけて堆積している地盤の様子は変化しています。木曽川で言うと、犬山や江南では、扇状地的な地形で礫が多く、それが海部の方に行 くと徐々に砂が細かくなり、更に下流では泥っぽくなっていきます。

ただし、時代によってこの堆積環境は変動します。私たちの地球では、氷河期と間氷期が繰り返してきました。氷河期には、寒いので南極や北極の氷 が厚くなり、海が大きく後退します。このため、平野部に加え伊勢湾・三河湾なども陸化し、川は谷を深く刻みながら急流で流れます。このため、この時期に は、粒の大きな地層(礫層や砂層)が堆積します。一方、地球が温暖化する間氷期には、海水面が上昇し、平野部全体が海水に覆われ、この間には粒の小さな地 層(粘土層)が堆積します。縄文時代の6千年ほど前には、海水面は今よりも2~3m高く、濃尾平野では大垣や犬山くらいまで海が進入していたようです。こ のことは、縄文時代の貝塚の位置を見てみるとよく分ります。一方、弥生貝塚の位置をみてみると、弥生時代には、一宮当たりまで海があったようです。さら に、江戸時代初期の海岸線は概ね、関西本線くらいの位置だったようです。徐々に、海が陸化してきていることが分かります。

江戸時代には、人口増に伴って、塩田や新田の開発が盛んに行われ、干拓が繰り返されました。さらに、明治以降は、湾岸部の埋立てが進みました。 干拓の際には、遠浅の海などに堤防を築き、干潮時に水門を開いて海水を出し、満潮時に水門を閉じて干上がらせて陸化します。このため、干拓地は、海水面よ りも土地が低くなることが多く、地盤も軟弱になりがちです。一方で、埋立地は、土砂を積み上げて作りますから、海水面よりも土地は高くなります。また、十 分に管理して行われた埋立て工事では、地盤も比較的しっかりしています。ちなみに、東日本大震災では、広域に液状化した浦安の中で、液状化対策をしっかり していたディズニーランドでは液状化の被害はなかったと言われています。

よく、軟弱な地盤のことを沖積地盤と言います。これは、地球の年代を地質の堆積年代で区別するためです。一番最近の時代は、新生代と呼ばれてい て、新生代の中に、第四紀と第三紀があり、さらに最近の第四紀は、完新世と更新世に分かれています。完新世のことを以前は沖積世、更新世のことを洪積世と 呼んでいました。完新世は一万年くらい前までの時代で、縄文時代くらいに対応し、更新世は200万年くらい前までの時代で、概ね人類が登場したころに相当 します。これで、名古屋の堀川以西を沖積低地、熱田台地を洪積台地、東部丘陵を洪積丘陵と呼ぶ理由が分っていただけたと思います。

(2)液状化
さて、前置きが長くなってしまいましたが、このような地盤に関わる様々な災害があります。まずは、最も注目されたのは、液状化です。なかでも、震源から 遠く離れた東京湾岸の住宅地での液状化の被害は、頻繁に報じられました。特に浦安市の被害は甚大でした。埋立地や、旧河道、かつての湖沼を埋めた場所など で広範囲に液状化し、家屋の傾斜・沈下、周辺地盤の沈下、橋と道路の段差、マンホールなどの浮上などと行った被害が発生しました。また、津波来襲地域で は、液状化によって車が走行できなくなって避難が遅れたり、液状化で杭が抵抗力を失って、津波によって鉄筋コンクリートの建物が転倒したりした様子など も、テレビ等で報じられました。

液状化が発生しやすいのは、地下水位面が浅い緩く堆積した砂地盤です。砂地盤は、砂粒と間隙とでできていて、地下水位面以下では、間隙は水で満 たされています。通常は、間隙水は、砂粒の間の間隙を移動することで水圧が高まることはなく、砂粒同士が互いに噛み合うことで、力を受け渡し、建物などを 支えています。ですが、地震で揺れると、砂粒がガサガサと動くことで、より低いところに移動し、間隙を減らして締め固まろうとします。ちょうど、容器に袋 からコーヒー豆やグラニュー糖を移すときに、容器が一杯になると、容器を左右に振って、もう少し詰めるのと同じです。揺すっている揺れが強く、揺する時間 が長いほどよく沈みます。このように、砂のようなものは、振動をうけると砂粒と砂粒の間の間隙が減少し、容積が減る効果があり、継続時間の長い強い地震動 ほど良く容積が減ります。地震によって、間隙が瞬間的に小さくなると、水はすぐに移動することができず、急速に圧力(水圧)が高まります。そうすると、砂 粒同士の間で噛み合っていた力よりも水圧の方が高くなってしまい、砂粒がバラバラになって、水に浮遊し、泥水になってしまいます。これが液状化です。

ちょっと難しかったかもしれませんが、要は、地下水位に満たされた緩い砂地盤が要注意ということです。砂層の上に粘土層が乗っている場合には、 砂層が液状化し、圧力が高まって、粘土層の中に弱い場所を見つけて、そこを液体化した泥水が通って、地表から、噴水のように泥水を噴き出します。これを 「噴砂」と言います。また、液状化する場所の地表が傾いている場合には、液体は低い方に流れますから、地盤全体が横方向に移動してしまいます。これを「側 方流動」と呼びます。

液状化の対策は、地盤を締め固めること、地下水位を低くすること、地盤にセメントなどを混ぜて改良することなどになりますが、このような液状化 対策は大規模で対策費用も多くかかります。このため、マンションなどでは、固い地盤まで、杭を打って、杭を介して建物を基盤に直接支えることが一般的で す。ですが、戸建て住宅では、杭を使うことは滅多にありません。次善の策として行われるのは、基礎を剛強にし、基礎周辺の地盤にセメントなどを混ぜて地盤 改良することです。これによって、たとえ液状化で建物が傾いても、建物には被害を生じさせず、地震後にジャッキアップすることで、建物の傾斜を元に戻すこ とができます。ただし、建物が重いと沈みやすく、建物の重量に偏りがあると傾斜しやすくなりますから、建物の重さ、形状や配置にも気をつけた方が良いと思 います。また、液状化をすると、地中を通っている上下水道やガス管にも被害がでますし、道路もしばらく使えなくなりますから、他地域と比べて、十分な備蓄 をしておくことも大事なことだと思います。

(3)宅地造成地
仙台市では、人口増加と共に、周辺の丘陵地が宅地造成され、多くの住宅が建てられるようになりました。こういった丘陵地の宅地造成地で、盛土地盤での不 同沈下や移動などの地盤災害がありました。人口100万人の仙台市での被災宅地は5,080宅地と言われていますので、同様に丘陵地に多数の人が住み、人 口が約倍の名古屋ではどうなるかのか、多少心配になります。

もともと、丘陵地には凸凹がありますから、造成地を作るときには、尾根を切ったり谷を埋めたりして平らにします。また、斜面の場合には、斜面を 削ったり盛り土したりして、斜面を段々畑状に造成をします。こういった場所では、切り土と盛り土が隣り合わせになります。切り土と比べ盛り土の方が軟弱で すから、結果、盛り土側が沈下し、建物が不同沈下して傾くことになります。また、谷を埋めて盛り土造成した宅地は、締まりが緩く地下水が多い場合が多いの で、地震の揺れで斜面の下方に滑り落ちたり、地盤が大きく変形したりします。特に、地山と盛り土層の境界面が緩むと大規模に滑りやすくなります。地盤が大 きく移動した仙台市太白区緑ヶ丘地区や、青葉区折立地区での大規模地滑り地区はまさしくこういった谷埋め盛り土に相当します。宮城県沖地震のときにも地滑 りがあった緑ヶ丘に加え、今回は、宮城県沖地震のときには被害の無かった場所でも地滑りがあったようです。長い間繰り返し揺れたことの影響かもしれませ ん。

(3)ため池の堤防の決壊
岩手県、宮城県、福島県では約12,500箇所のため池のうち、約1,800箇所が被災したようです。決壊したのは、福島県の、藤沼湖、青田新池、中池 の3つのため池で、中でも最も規模の大きなものが、須賀川市の藤沼湖です。ため池をせき止めいた藤沼ダムが決壊し、流出した多量の水が下流の集落に達し て、死者7名、行方不明者1名の犠牲者をだしました。このダムは、昭和24年10月に竣工した、堤高18.5m、堤長133.2mのアースダムで、貯水量 は150万m3でした。

用水や水道が無かった時代、水の確保のため、数多くのため池が作られていました。愛知県下にも東部丘陵、幡豆、知多半島、渥美半島などに約 3000のため池があります。かつては、名古屋市内にも、名東区や天白区、緑区などを中心に数多くのため池が有りましたが、今ではほとんど無くなってしま いました。池を干上がらせたり、盛り土して宅地にしました。そもそも、ため池は、谷の出口に堤防を作ることで谷川の水を貯めていた場所ですから、前述の谷 埋め盛り土の危険性を内在しているとも言えます。

揺れだけではなく、豪雨などによる土砂災害のことも合わせ、旧来より危険性が指摘されていた急傾斜地の崖崩れの問題も忘れないでおきたいと思います。

(4)亜炭鉱の陥没
東北地方にも亜炭鉱が多数あったようで、東日本大震災では、73か所で亜炭坑道の陥没があったようです。亜炭鉱の採掘終了後、時間が経過し、風化などの 影響で弱っていたところに、強い揺れがあって陥没をしたのかもしれません。亜炭鉱の問題は、当地でも他人事ではありません。御嵩・多治見から東部丘陵を経 て知多半島にかけて、大規模な亜炭鉱が存在します。残念ながら坑道の充填は十分には行われていないのが現状です。どこに亜炭鉱があるのかもよく知られてお らず、ときどき、亜炭鉱の陥没のニュースを聞きてびっくりします。最近、かつての亜炭鉱の上にある里山が宅地開発されているように感じられ、大いに気に なっています。

亜炭鉱の位置については、地元に長く住むお年寄りの方々はよくご存じのようです。ぜひ、早めに、地元の方々から亜炭鉱のあった場所を聞いておいていただければと思います。