地震防災に関わる施策について(12/7)

 APLAの皆さん、こんにちは。

 東日本大震災から1年余りが経ち、被災地の復旧・復興の問題に加え、これからの日本の防災対策の在り方や、切迫する南海トラフ巨大地震への対応についての議論が活発になってきています。 そこで、今回は、中央防災会議専門調査会での検討を中心に、我が国の防災施策の変遷について、報告させていただきます。

 我が国の防災対策は、災害対策法に則って行われています。この法律は、5000人の犠牲者を出した当地の災害、 1959年伊勢湾台風への反省から作られました。1961年に制定され、この法律に基づいて1962年に中央防災会議が設置されました。また、1963年 に、我が国の防災対策の基本計画である防災基本計画が策定されました。

 その後、1964年に新潟地震が発生し、1966年に地震保険に関する法律が制定されます。この法律は、当時、大蔵 大臣だった新潟出身の田中角栄氏の強力な後押しで作られました。豪腕の田中角栄氏故に作れた法律とも言え、その後の災害で、数多くの被災者がこの法律で救 われました。この新潟地震では、液状化が広域で発生し信濃川近くの川岸町では集合住宅が横倒しになる被害がでました。また、湾岸の石油タンクが長周期地震 動によるスロッシングで、大きな火災を起こしました。東日本大震災での広域の液状化被害や、2003年十勝沖地震での苫小牧のタンク火災を思い出すと、過 去の教訓を生かし切れていない現代社会の問題点が分ります。ちなみに、1964年は、東海道新幹線の開通や、東京オリンピックなど、戦後の日本の一大エ ポックの年でもありました。

 1968年に十勝沖地震が発生し、それまで耐震性に優れていると言われていた鉄筋コンクリート建物の被害が顕著だっ たことから、耐震規定の一部が改正されました。ちなみに、建築物の耐震基準は、1923年関東地震の翌年、1924年に市街地建築物法に加えられた耐震規 定に遡ります。この規定は都市部の建築物だけに適用されていましたが、その後、1950年に制定された建築基準法により我が国のすべての建物に適用される ようになりました。

 1976年には、石橋克彦博士により東海地震説の基となる駿河湾地震説が発表され、これを受けて、1978年に東海 地震の直前地震予知を前提とした大規模地震対策特別措置法が制定されました。さらに、1979年には、東海地震を対象とした地震防災計画が策定され、強い 揺れが予測される地域は、地震防災対策強化地域に指定されました。愛知県でも、新城市が強化地域に指定されました。

 1978年に、宮城県沖地震が発生し、再び、鉄筋コンクリート建物に被害が目立ったことから、耐震基準を抜本的に改定した新耐震設計法が、1981年に導入されました。

 その後、1995年に、兵庫県南部地震が発生し、直下の活断層による強い揺れによって、多くの家屋が倒壊し、 6000人余の犠牲者を出しました。この地震で、1948年福井地震や伊勢湾台風を上回る犠牲者を出したことを受け、1995年に地震対策特別措置法が制 定されました。これにより、5か年計画で避難地避難路などの施設の整備が行われ、さらに、公立小中学校などの耐震化などが促進されることになりました。ま た、活断層などによる強震動ついての調査研究が不十分であるとの反省の下、地震調査研究を一元的に実施するために、地震調査研究推進本部(地震本部)が設 置されました。現在、地震本部の事務局は、文部科学省が担っており、地震動予測地図の作成や、地震発生の長期評価、活断層調査や、堆積平野地下構造調査、 地震観測・地殻変動観測などが実施されています。また、防災基本計画も全面的に修正され、防災とボランティアの日が創設されました。

 我が国の耐震基準は、1950年に建築基準法が策定された後、被害地震を受けて、1971年、1981年に、徐々に 改善されてきました。このため、建築年によって我が国の建築物の耐震性能が異なっています。耐震基準は、既存の建物には遡って適用されないという、不遡及 の原理に基づいているため、耐震的に問題の残る既存不適格建築物が多数残存しています。兵庫県南部地震では、これらの既存不適格建築物の被害が甚大だった ことから、1995年に建築物の耐震改修の促進に関する法律が制定されました。この法律は、その後、2004年新潟県中越地震の後、2006年に一部が改 正されています。愛知県でも、この法律に基づいて、公共建物の耐震化が進められ、また、戸建て住宅への耐震診断・耐震改修補助制度が作られることになりま した。

 1998年には、家屋被害などを被った被災者を支援するための被災者生活再建支援法が制定されました。その後、 2007年に改正され、被災建物の再建費用にも充てることができるようになりました。従来は、住家は個人の財産であり、国費を投入すべきではないとの考え 方が支配的でしたが、兵庫県南部地震での甚大な家屋被害を受けて、国の考え方が大きく転換しました。

 2001年に、中央省庁の再編が行われ、新設なった内閣府に防災担当が設置されました。これと共に、中央防災会議の 事務局も国土庁から内閣府に移管され、1月26日に行われた第一回の中央防災会議の場において、当時の小泉純一郎総理大臣が、東海地震対策の見直しについ ての指示をしました。これを受けて、2001年に東海地震に関する専門調査会が設置され、新たな科学的知見に基づいて、東海地震の震源域の見直しが行わ れ、2001年末に新たな震度分布が示されました。これを受けて、2002年に東海地震対策専門調査会が設置され、地震防災対策強化地域の見直しや、地震 被害予測が行われ、2003年に東海地震対策大綱が策定されました。政令市である名古屋市も強化地域に参入されたことから、大都市特有の帰宅困難者問題が 注目されることとなり、警戒宣言に先立って、注意情報が新設されることになりました。また、愛知県では本格的な地震被害想定が行われ、さらに、地震対策ア クションプラン作りや地震防災条例の制定などへと続いていきました。

 2001年秋には、東海地震に続いて、東南海、南海地震等に関する専門調査会が設置され、2002年に東南海・南海 地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法が制定され、これに基づき、地震防災対策地域が指定されました。この結果、愛知県下の殆どの市町村が、強 化地域や推進地域に算入されることになりました。2003年には、東海地震と同様、東南海・南海地震対策大綱が策定されました。さらに、2005年には、 10年での地震被害半減を目指した、東海地震の地震防災戦略と、東南海・南海地震の地震防災戦略が策定されました。ちなみに、東南海・南海地震対策大綱の 中には、今後10年の間に東海地震が単独で発生しない場合には、東海地震と東南海・南海地震の連動も含めた形で大綱の見直しを行うとの記述があり、これを 受けて、東日本大震災発生の前から、3地震の連動を考慮した地震対策について検討の準備をしていました。

 なお、この専門調査会では、東南海・南海地震の前後には西日本が地震の活動期に入り、活断層による地震が頻発することから、中部圏と近畿圏の活断層についても検討を行い、2009年に中部圏・近畿圏直下地震対策大綱を策定しました。
東海・東南海・南海地震に関する検討が一段落すると、2003年には首都直下地震対策専門調査会が設置され、首都直下地震に対しての検討も本格化しまし た。この検討結果を受けて、2005年に首都直下地震対策大綱が、2006年に首都直下地震の地震防災戦略が策定されました。そして、首都直下地震避難対 策等専門調査会(2006-2008)により、帰宅困難者問題の検討も行われました。

 また、日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会も2003年に設置され、2006年に日本海溝・千島海 溝周辺海溝型地震対策大綱が、2008年には日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の地震防災戦略が策定されています。ちなみに、日本海溝・千島海溝周辺海溝 型地震の検討の中で、マグニチュード9クラスの連動地震についての考慮が十分に行われていなかったことが、東日本大震災後に、反省すべき点として指摘され ています。

 以上のような、具体的な地震員対する対策に加え、中央防災会議では、防災基本計画専門調査会 (2001-2002)、今後の地震対策のあり方に関する専門調査会(2001-2002)、防災に関する人材の育成・活用専門調査会 (2002-2003)、防災情報の共有化に関する専門調査会(2002-2003)などを通して、我が国の防災対策の基本戦略作りを行ってきています。
また、過去の災害の教訓を後世に残すことを目指して、災害教訓の継承に関する専門調査会(2003-2010)を設置して、多くの災害についての整理を行ってきました。

 さらに、大規模地震の被害想定や地震防災戦略を受けて、自助や共助を通した防災力向上を目指して、民間と市場の力を 活かした防災力向上に関する専門調査会(2003-2005)や、災害被害を軽減する国民運動の推進に関する専門調査会(2005-2006)を設置し、 2006年には、災害被害を軽減する国民運動の推進に関する基本方針を策定しています。ちなみに、愛知県の防災協働社会推進協議会は、この基本方針を受け て設置されたものです。

 なお、2000年東海豪雨以降、我が国での豪雨災害が顕著なことから、大規模水害対策に関する専門調査会 (2006-2010)が設置され、災害時の避難に関する専門調査会(2010-2012)では、豪雨災害を中心に避難の問題が検討されてきました。その 後、東日本大震災を受けて、津波避難の問題がクローズアップされ、現在は後述の防災対策推進検討会議の下のワーキンググループで議論が続いています。

 また、近年の地震災害が、地方都市で発生していることに鑑みて、地方都市等における地震防災のあり方に関する専門調査会(2010-2012)が設置され、地方都市特有の防災的課題が検討されてきました。

 以上が、東日本大震災以前の、中央防災会議を中心とした動きです。東日本大震災は、丁度、東海・東南海・南海地震の 3連動地震を想定した専門調査会を設置しようとしていた矢先に発生しました。最初に、東日本大震災の甚大な被害を受けて、5月に、東北地方太平洋沖地震を 教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会が設置されました。そして、12回に渡る審議を経て、東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関す る専門調査会報告をとりまとめました。その概要を是非、ご覧下さい。

 ここでは、前文に「今回の災害は、地震の規模、津波高・強さ、浸水域の広さ、広域にわたる地盤沈下の発生、人的・物 的被害の大きさなど、いずれにおいても中央防災会議の下に設置された専門調査会がこれまで想定していた災害のレベルと大きくかけ離れたものでした。従前の 想定に基づいた各種防災計画とその実践により防災対策が進められてきた一方で、このことが、一部地域において被害を大きくさせた可能性もある。自然現象の 予測の困難さを謙虚に認識するとともに、今後の地震・津波の想定の考え方などについては、抜本的に見直していかなくてはいけない。特に、津波対策について は、全般にわたりその対策を早急に見直し、近い将来発生が懸念される南海トラフの巨大な地震・津波に対して万全に備えなければならない。」と記されている ように、過去の地震対策の反省に加え、今後の、南海トラフ巨大地震への備えの重要性が明記されています。

 この報告を受けて、2011年8月に、内閣府に南海トラフの巨大地震モデル検討会が設置され、12月に最大クラスの地震のモデルを、2012年3月には、震度・津波予測結果の速報を 公表しています。この結果は、従来の震度や津波高さとは大きく異なり、愛知県下の広い地域で震度7の揺れが、また、渥美半島の概要では20mを超える津波 高さが予想されました。ただし、この結果は、将来の発生を否定することができない最大クラスの地震による、最悪の想定結果であり、来るべき南海トラフ巨大 地震での平均的な姿とは異なるものですから、この結果を見て諦めるようなことは絶対にしないでください。今後、平均的な地震に対しても、想定結果が公表さ れると思います。

 また、2011年10月には、今後の我が国の地震対策のあり方を考える新たな専門調査会として、防災対策推進検討会議が設置されました。2012年3月には、中間とりまとめが公表されており、その概要も ぜひご覧下さい。大事なことが沢山書かれています。この報告にも、南海トラフ巨大地震に対する対策の重要性が示されています。これを受けて、本年の4月に は、南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループが設置されました。ここでは、本年6月をめどに被害予測結果を公表し、本年中に対策の骨子を策定するこ とを目指しています。

 こういった国の動きを受けて、現在、愛知県、三重県、静岡県、岐阜県、名古屋市などでも、被害予測調査を進めようとしています。また、中部地方整備局には、東海・東南海・南海地震対策中部圏戦略会議が 設置され、10個の具体的テーマについて、精力的に検討が始まりつつあります。これからの1年間、様々な情報が新聞・テレビなどを通して公表されると思い ます。防災リーダーの皆様は、これらの情報を正しく理解し、冷静に受け止めた上で、地域での防災対策を着実に進めていっていただければと思います。