昔の地図や絵、写真からハザードを考える(09/3)

今回は、昔の地図や絵、絵葉書、写真について考えてみたいと思います。写真 (毎日jp、胸までつかる泥田で田植え 1954年6月 新潟 )を ご覧ください。これは、一昔前にはあちこちで見られた沼田での田植えの光景です。胸まで浸かって田植えをしています。私たちの地域でもこのような光景はつ い最近まであったと思います。あちこちで、田船や田ケタを見る機会があります。是非、こういった写真を残しておきたいものです。もしも皆さんの中でこのよ うな写真をお持ちの方がいらっしゃったら是非提供ください。そのときには、写真を撮った場所もお知らせください。今は宅地になっている場所も、ちょっと前 はこんな場所だった所が多かったのではないでしょうか。海部地区や、旧碧海郡、豊川の周辺などには、こういった風景が広がっていたと想像されます。 この写真を見れば、今の若者たちも、ドッキリすると思います。ハザードマップの上に、こういった過去の地形を重ねてみると災害危険度を実感することができ ます。

写真(長崎大学附属図書館 「幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」)は、 戦前の大須観音を写した写真です。大須観音の向こうには建物は無く、林や田畑が広がっていることが分かります。 こういった様子は、昔の地図を見るとよく理解できます。下の図は明治時代の名古屋の市街を示した地図です。図のように名古屋のまちは、北は名古屋城、南は 熱田神宮、西は堀川辺り、東は千種駅辺りを境としていたことが分かります。まさしく、洪積台地である熱田台地に町が留まっていました。

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地図だけではよく分からないという方には図会や浮世絵が便利です。この地域には尾張名所図会とう江戸時代末期のガイドブックが残されています。図(名古屋都市センター・NewsLetter 2005 No.66)は 尾張名所図会に描かれた猫洞池の絵で、本山辺りから北の方を見た情景です。上下に2つの池がありその周辺には何も無かったことがわかります。現在は、下池 は埋め立てられ、上池もずっと小さくなっています。埋め立てた場所には高級な住宅がぎっしり立ち並んでいます。名古屋市が配布しているハザードマップを見 ると、埋め立てた場所では液状化危険度が高いことが分かります。

地震のハザードやリスクには、地盤の改変が大きく影響します。私たちの住む場所の過去をしることで、災害の危険度を実感することができます。過 去の地図、名所図会や浮世絵、絵葉書や昔の写真、地名の由来などを調べれば、我が家の災害危険度をわが事として考えることができると思います。最近、私の 研究室でも、昔の資料が一杯集めています。皆さんも、金山の高層ビルに入っている名古屋都市センターに行くと、名古屋のまちの移り変わりが分かりやすく展 示されています。また、資料コーナーには、昔の地図や写真などの資料がたくさんあります。たとえば、「明治・昭和 東海都市地図」(柏書房)を調べると、1889年と1971年の地図を比較することができます。図書館や市町村の役場に行って、昔の地図や市史や町史を調 べるのも良いと思います。