過去と今の地盤を比較する(07/3)

皆さん、こんにちは。今日は地盤の話をしてみたいと思います。下の図を見てください。この図は、日本地図センターで販売されている東京地区の 1:25,000デジタル標高地形図です。黄色い色の部分が標高が高く武蔵野台地に相当します。台地の中に中小河川が刻んだ谷があるのがよく分かります。 皇居の北・東の谷筋は、かつての神田川が流れていた流路に相当します。ちなみに、現在の神田川は、上野の山を開削して東に流れています。一方、青い部分は 沖積低地で、濃い青色は海抜ゼロメートル以下の場所です。この標高の分布と、左下に示す1923年関東地震の震度分布(武村他)と比較してみてください。 沖積低地や武蔵野台地の谷筋の揺れが明らかに大きくなっていることが分かります。沖積低地や沖積谷などの軟らかい地盤では、揺れの強さがずっと大きくなり ます。皇居の東側の真っ赤な場所には、今、気象庁や東京消防庁、三大メガバンクの本社など、日本一のビジネス街が立地しています。実は、銀座は少し小高い 自然堤防になっていて、関東地震の時の揺れも少し小さめでした。今とは違って、昔の人々は武蔵野台地の上に住み、沖積低地や沖積谷は、田畑に利用していま した。

さて、この絵の上に、山手線、中央線、総武線の線路を書いてみました。山手線の東側が武蔵野台地の東縁を通っていること、山手線内の中央線が谷 筋を通っていること、中央線は多くの谷をまたぎ、総武線は沖積低地を通っていることが分かります。東京駅は、皇居の東側に位置します。どうして東京駅はこ んな酷い場所にあるのでしょう? 答えは簡単です。かつて、汽車は蒸気機関車で走っていました。火をたいて煙を吐く乗り物はまちには来て欲しくなかったの でしょう。だから、「八重洲」などという軟弱地盤に駅を作ったんだと思います。ちなみに、名古屋駅は泥江、大阪駅は梅田、何れも軟弱地盤です。いつしか、 私たちはそのことを忘れ、便利な駅に沢山のビルを建ててしまいました。 図の下に中央線と総武線の各駅停車に乗ったときの駅名を書いてみました。「くぼ(窪・久保)」、「たに(谷)」、「橋」、「船」、「水」、「井戸」、 「野」、「田・稲」などの名前が並んでいることに気づくと思います。私たちは、戦後、本来、住んではいけない良く揺れる場所に町を広げてしまいました。

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