20世紀前半の地震災害(06/3)

皆さんこんにちは。今回は、20世紀初頭の地震災害を振り返ってみたいと思います。過去は将来を教えてくれます。同じことを二度と繰り返さない ためには、災害軽減のための備えの行動が必要です。関東地震に始まり福井地震に終わる一連の地震と歴史の変化の関係が、1995年に始まる活動期に重なる かもしれません。

1900年代初頭は、1904~05年日露戦争、1914~18年第一次世界大戦、1920年国際連盟加盟を経て、護憲運動が盛んな大正デモクラシーの時 代であり、1925年には普通選挙法が制定された。この最中に発生したのが、1923年関東地震(M7.9)である。死者・行方不明者10万5千余人、経 済被害は日本銀行の推計で45.7億円に上ったと言う。これは、当時の国家予算の3倍程度に当たる。
このため、1週間後の9月7日には緊急勅令によるモラトリアムが出され、さらに9月29日には震災手形が出された。震災手形はその後不良債権化し、 1927年に金融恐慌を招く。ちなみに、治安維持法が普通選挙法の成立直後の1925年4月に作られ、国家権力が強化されていった。ラジオ放送が始まった のは、同年6月であり、関東地震の際にはラジオ報道が無く、これらがデマを呼び朝鮮人虐殺などの悲しい事件の遠因になったと思われる。

ラジオ放送開始直前の1925年5月23日に北但馬地震(M6.8)が兵庫県北部を襲い、1927年3月7日に北丹後地震(M7.3)が京都北部を襲った。金融恐慌が発生したのは北丹後地震の翌週3月15日である。
以後、我が国は暗い時代に突入する。1929年に始まる世界恐慌や、1930年11月26日の北伊豆地震(M7.2)を経て、軍部の発言力が強まり、 1931年9月18日満州事変、1932年5.15事件が勃発する。さらに、1933年3月3日三陸地震津波(M8.1)、1936年2.26事件、 1937年7月7日盧溝橋事件を皮切りとする日中戦争、1941年12月8日真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争へと続く。

1942年、43年は戦勝ムードに沸いたが、1943年末からは劣勢となった。その直前の1943年9月10日に鳥取地震(M7.3)が発生し た。翌1944年には、7月にサイパン、8月にグアムが陥落し、10月にはレイテ沖の海戦で歴史的大敗を喫した。そして、3度目の太平洋戦争開戦記念日の 前日12月7日お昼過ぎに、東南海地震(M7.9)が発生した。

東南海地震では、中島飛行機半田製作所や三菱重工業名古屋航空機製作所道徳工場が壊滅的被害を受け、海軍の飛行機や零戦の生産が不可能となった。しかし、戦時下の情報統制のためか、震災の様子が広く国民に伝えられることはなかった。

さらに翌週、12月13日から、名古屋に対する本格的空襲が始まり、B-29爆撃機90機が三菱発動機大幸工場を襲った。当日には、東洋一の動 物園と呼ばれた東山動物園の猛獣類が、治安維持を理由に多数射殺された。そして、一ヶ月後の翌年1月13日には、三河地震(M6.8)が発生した。さら に、広島(8月6日)と長崎(9日)への原爆投下の間の7日に東洋一の武器工場と言われた豊川海軍工廠が空襲を受け2700人が犠牲となった。そして、翌 週15日に敗戦を迎える。さらに、翌1946年には南海地震(M8.0)が、1948年には福井地震(M7.0)が続発した。

このように、歴史的事件と被害地震が交錯して発生している。学校で習う日本史では触れられていない事実である。皆さんも一度、バブルの終焉と重 なる1995年兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)以降の11年間の年表を作ってみて頂きたい。また、東海・東南海・南海地震、首都直下地震など、今世紀前 半には、自然災害で200~300兆円程度を失う可能性がある。この金額は、国家予算の3倍程度に相当する。20世紀前半と類似点もありそうだ。私たちの 世紀は前世紀とは異なった世紀でありたい。そのために、今こそ耐震化が必要である。そして、それを進めるための啓発活動。防災リーダーの方々の力に期待し ます。