我が家の防災対策(05/7)

2005年7月

皆さん、こんにちは。予定では、今回は地震動予測地図をご紹介することになっていましたが、事務局の方から、私の家の話をしなさい、とのご指示を頂きましたので、急遽、話題を変更し、我が家の防災対策の現状について報告させて頂きます。

私は、昭和32年2月に、桜山の名古屋市民病院で生まれました。父親は日進育ち、母親は豊田の松平育ちで、何れも江戸より前から住み続けていた ようです。このため、一族郎党、県下に住んでいます。これが今、地域の防災に関わる第一の理由です。私自身は、大学に入るまで市内東区で過ごし、その後、 父親の実家に引っ越し、大学・大学院時代を日進で過ごしました。そして、昭和56年から10年間、大手建設会社に勤め、東京暮らしをしました。この間に結 婚しました。結婚後、6年ほど、子供が生まれず、女房と二人の生活かと思っていたら、会社を辞める直前に女房が妊娠をしました。

バブルの始まった頃、平成3年に名古屋大学に異動しました。住まいは、両親の住む日進の実家をちょっと増築して移り住みました。ただ、子供が生 まれるとは思っていなかったので、部屋数も足りず、築約50年の実家を抱え、その後、悩みの種となりました。名古屋大学では、建築学科で6年、先端技術共 同研究センターで4年、その後、都市環境学専攻で4年強を過ごしています。

家族は、名古屋に移った1年目に長女が、3年目に長男、6年目に次女が生まれました。両親と同居していたのですが、5年前に父親を亡くしたの で、今は6人家族。私は、土日も含めて、殆ど家に居る時間が取れないため、家では全く役に立ちません。それ故に、我が家の防災対策は、もっぱら、女房が中 心です。私自身は、地域の防災活動にも全く参加しておらず、地域防災では失格です。その代わり、日進周辺で行われる防災イベントなどはできる限りお手伝い するようにしています。

さて、我が家がある場所は、日進の里山の麓で、周辺は田圃に囲まれています。庭には時折り蝮が出没し、周りには白鷺や雉が見えます。我が家の敷 地は、庭側はやや浅い部分が軟らかいですが、家が建っている場所は相当に堅い地盤のようです。私の代まで家が絶えていないですし、過去帳を見ても、地震で 死んだ先祖は居ないので、ひどい地震災害は経験していないようです。庭には、くみ取り式便所や、井戸もあったのですが、潰してしまいました。今考えると、 防災上は失敗でした。

家屋の方は、かつては典型的な尾張の田舎屋で、田の字型プランの1階の上に倉庫を兼ねた2階がある入母屋の立派な瓦屋根の家でした。嘘か本当か 宮大工が作ったとのことで、釘は一本も使わず、一抱えもある大黒柱の家でした。1階には、壁が一枚もなく、間仕切りは全て襖でしたので、夏は自然の風で快 適なのですが、都会育ちの我が夫婦には、プライバシーの無さと、もの凄い数の蚊と蛙の鳴き声に慣れるのは大変でした。その後、この家は、2000年に建て 替えることになりました。

家の建て替えのきっかけは、10年前に起きた兵庫県南部地震でした。私もそれまでは、地震について甘く見ていたのですが、被災地を見て考え方が 一変しました。何せ我が家は、古い、重い、一階に壁が無い、基礎もくっついていない、接合金物も無い、と無い無い尽くしでした。神戸から戻って、直ぐに耐 震診断をし、耐震補強設計もしてみたのですが、手の施しようがない結果でした。神戸のような内陸直下の地震が西日本で発生すると東海・東南海地震が数十年 後に発生し、同時に神戸のような地震が頻発する、ことは知っていました。乳飲み子たちを前に、この子たちがこの家で押し潰されてしまうかもしれないと思 い、焦りがこみ上げました。家を建て直すしかないのですが、名古屋に戻るときに、なけなしのお金をはたいて、実家を増築したために、蓄えもなく呆然として しまいました。

で、やむなく3つの行動をすることにしました。一つは、低い家具を沢山買ってきて、寝室に沢山置きました。家が潰れたときに、生き延びる空間を 確保するためです。当時は、防災ベッドは存在しませんでした。二つ目は、NHK名古屋の番組の中で、ダメな代表的建物として紹介してもらいました。弁解の ためです。今、解説委員をされている山崎登さんが名古屋でキャスターをされているときに取材して下さいました。今でも、耐震性の無い建物の代表例として時 折テレビ画面に登場します。そして3つ目は、家を建て直すために猛然と貯金を始めることでした。挫折するといけないので、周辺の人たちに5年後に家を建て 直すと公言し、質素倹約に努める生活を続けました。

おかげで5年後に、せっせと貯めたお金を頭金に、家を建て直しました。この際には、私自身が実験をして耐震性を確認した鉄骨系のプレハブを採用 しました。本当は、免震住宅にしたかったのですが、当時、免震住宅は15人の評定委員で安全性を確認する時代で、私自身が評定委員だったため、免震は断念 しました。その代わり、通常の建物の倍のブレースを入れてもらい、屋根は軽く、各コーナーには壁を配置し、壁のバランスにも気を配りました。建設中は、毎 日、図面を抱えて写真を撮りまくり、施工ミスが無いようにチェックを怠りなくしました。これで、まずは一安心でした。

ですが、東海地震の問題が脚光を浴びるようになり、またまた心配になりました。注意情報が発令されたりしたら、僕は家族を置いて出かけないとい けないように思います。そこで、カーナビ付きのハイブリッド・ワゴン車を購入することにしました。エコノミークラス症候群を心配せずに足を伸ばして寝ら れ、カーナビで情報収集をし、社内のコンセントから電源がとれます。警戒宣言発令時には、家族をこの車に乗せ、建物が倒れてこない田圃の中の農道に停めて おこうと思います。子供たちは、テレビアニメやコンピュータゲームを楽しみながら、東海地震の揺れを待つことになります。地震後は、この車を家の隣に停 め、車を発電機にして冷蔵庫や洗濯機などを使います。近所の方々の腐るものを保管することもでき、冷えたビールも楽しめます。周辺には畑も多く、井戸も 残っており、庭では焚き火や野糞も可能です。不便な田舎暮らしも、今になって考えると、防災上はお得、と感じます。

水と食料の備蓄については、我が家は、女房も私も飲兵衛ですから、水割り用の水を大量に買い込んで蓄えています。普段の消費量が膨大なので、 水・食料の備蓄・循環も旨く行っています。家具の固定については、5年ほどの間、突っ張り棒でお茶を濁していたのですが、昨年末に、家具転倒実験をしてみ てその効果のほどを知り、ゴールデンウィークに慌てて、完全に固定しました。また、子供たちには、2つずつ、笛を持たせています。どれもこれも、楽しみな がらやっています。とはいえ、皆が家に居るときに地震が起きるとも限りません。後で後悔しないように、できることから、無理の無い範囲で、楽しみながら普 段の生活を改善していこうと思います。