現代都市では過去の教訓が生きない場合もある

 今の都市は60年前とは異なる。戦後、都市に人 口が集中したため、都市の住宅地は急速に拡大した。かつての暮らしの中心は洪積台地の上であったが、人口増と共に、田圃・池や海だった沖積低地が盛土・埋 め立てられ、丘陵地が切盛り造成されて宅地化された。都心には、超高層ビルが林立し、地中には地下鉄が、空中には高速道路や鉄道の高架橋が連なっている。 海は、埋め立てられ、工場や発電所が建設された。そこには、石油タンクが密集し、煙突や鉄塔が林立する。港には長大橋もある。東南海・南海地震を経験した 60年前に比べ、人は災害危険度の高い場所に住むようになり、当時は存在しなかった危険物や巨大構造物が多数存在する。こんな都市の災害像は60年前とは 全く異なるかもしれない。

 沖積低地では、洪積台地に比べ強く揺れる場合が多 い。緩く堆積した砂地盤では、液状化するだろう。液状化すると建物が沈下したり傾いたりする。地盤が大きく変状し、車の通行は困難になる。地盤の変状が激 しいので、地中に埋設されたガス菅・上下水道が破断して、ライフラインが確保できなくなる場合も多い。泥水が乾いた後は、砂埃だらけだ。沖積低地に作る建 物は、通常の建物より強く、強固な杭で支持することが鉄則である。時折、液状化しそうな場所で、建物の耐震改修をしている様子を見るが、上屋の耐震改修で は液状化対策にはならない。

 丘陵地では、土砂崩れが発生しやすい。斜面を宅地造成するときには、斜面を削った土を埋め土に用いて段々畑状にする。盛土部は土砂崩れを起こしやすい。切土・盛土を交互に並ぶので、切土にある家屋は裏からの土砂崩れの恐れが、盛土にある家屋は自身が移動する恐れがある。

 都心の超高層ビルはどうだろう。超高層ビルは、 ゆったりとした長い揺れが苦手で、一度揺れると止まりにくい。このため、巨大地震では、物凄く長い間揺れが続く恐れがある。例え、ビルに損壊が無かったと しても、高層階に居る人たちは大きな揺れで相当な恐怖感を味わうだろう。万一、非常用電源が作動せず停電し、エレベータが止まったとしたら、地上に降りる だけで大変な思いをする。超高層ビルは、水道が止まっただけで機能が停止する。水が使えなければ、トイレが使えない。用を足すたびに屋外の仮設便所に行く ことは不可能だし、超高層ビルの住人分の仮設便所を置く場所を屋外に確保することも困難である。発災後の災害対策拠点として相応しい建物では無い。汐留や 新宿の高層ビル群を見て何を感じるだろう。ビルから出てきた人たちが避難するスペースも足りない。交通機関が止まれば、大量の帰宅困難者も生み出す。
海の近くの低地では、液状化と津波が心配である。液状化で地盤が大きく動くと岸壁が移動し、海岸近くの地盤が海に没する場合も有る。岸壁やクレーンが使えなければ、海運が途絶える。

 津波は外洋に面した場所だけが怖いわけではない。 内海や内陸部でも津波は問題になる。内海では、津波到達時間は遅れるので逃げる余裕はある。しかし、自動車輸出基地のプールでは、即座に大量の車を移動す ることは不可能であろう。万一、地下鉄の入り口から水が進入したらどうなるだろうか。海抜ゼロメートル地帯が広がる地域で、どこか一箇所でも堤防が破堤し たら、広域に浸水してしまう。濃尾平野などでは津島市と海部郡全域である。強い揺れで家屋が倒壊したり家具が転倒して、家屋の中に取り残された人は、浸水 すれば、救出が困難になる。地元自治体は、破堤の有無を地震直後に調べ、住民の避難を優先するか、救命を優先するかの判断を迫られる。また、津波は河川を 遡上する。内陸部でも河川の堤防が揺れで損壊していれば被害が拡大する。内海の埋め立て地には、石油タンクなども密集している場合が多い。万一、タンクか ら油が流出したら、津波は、水と共に油を運ぶので、浸水地域全体が油に覆われる。

 ゆっ たりした長い揺れは、長大橋や煙突、鉄塔も不得手である。万一これらが損壊すれば、交通網が止まり、発電所が止まり、配電もできなくなるだろう。都心の高 架橋が落下すれば、下を通る道路も通行不能になる。盛土は簡単に復旧できるが、高架橋が倒壊した場合には、復旧に相当の期間が必要になる。

 現代の都市は、60年前と比べ、災害に対する冗長性(リダンダンシー)が不足している。そのことを認識した上で企業の備え、我が家の備えをする必要がある。