身の回りの被害

 地震の際には、一般の建物や家屋の被害に加え様々な事柄が周辺で発生する。阪神淡路大震災は、成人式を挟む三連休の翌日、1月17日、真冬の夜が明ける 直前、5時46分に発生した。ほとんどの人たちは家屋の中で寝ている中、強い揺れに遭遇した。風がさほどでも無かったため、火災延焼速度はさほどでもな かった。そのため、木造家屋の中での死亡が目立った。死因は圧迫死・窒息死が89%で殆どが即死、65歳以上の割合が44%となっている。特に2階建て家 屋の1階での犠牲者が多かった。次に目立ったのが大学生であり、111人が犠牲になった。神戸大生39人、神戸商船大生5人、甲南大生16人、関学大生 15人、関西大生4人などである。特に神戸大生の多さが目立っている。これは、下宿の耐震性の問題が大きい。

 身の回りでも色々なことが発生する。家屋の中では、箪笥や棚が転倒し、ピアノが移動したり、テレビやパソコンが飛んだりする。家具の転倒で死傷した人は多い。地震の数日後、通電されたときに、転倒した電気器具から出火した事例も多い。

 地震の最中は凄まじい音がしたが、 その直後は、真っ暗闇の静寂が訪れたそうだ。聞こえるのはうめき声だけである。地震後の部屋の中は、めちゃくちゃ。飛散したガラスで足を負傷する人も多 い。建物が変形して、窓・戸・扉は簡単には開かない。海の地震であれば、揺れた直後に津波が襲来する。着の身着のまま高所に避難する必要がある。

 屋外では、写真1に示すように、倒壊した家屋が道を塞ぎ、建物のガラスや看板の落下、自動販売機の転倒、ブロック塀の倒壊、盛土の崩落なども至る所で発生する。1978年宮城県沖地震では、死者の2/3はブロック塀の倒壊による犠牲者だった。

 地震後には電気、上下水道、ガス、 電話などのライフラインも止まる。神戸では、電気の復旧には1週間、電話は2週間、水道とガスは3ヶ月の時間を要した。高層のオフィスビルでは、電気がな ければエレベータやパソコンは使えず、下水が止まればトイレも使えない。これでは、建物は大丈夫でも会社の機能は喪失してしまう。マンションであれば、エ レベータや上下水道が使えなければ生活ができない。一人が一日生活するには30リットルの水が必要である。これを階段で運ばなければいけない。用便の度に 地上階に降り、仮設トイレの順番を待つ必要がある。

 家屋が損壊したり、ライフラインが 途絶して自宅での生活ができなくなると、学校の体育館などの避難所に行くことになる。しかし、被災者一人当たり3㎡程度を占めるので、1000㎡の体育館 には300人程度しか入れない。一小学校区には1万人程度住んでいるので、避難所に入れる人は限られる。入れたとしても、避難所生活はプライバシーが無 く、心身の健康を害す人も多い。

 地震後しばらくたつと、応急仮設住宅が建設される。しかし、広い建設敷地を都心に探すのは難しいため、相当に離れた場所に建設される。また、広さも25㎡程度の狭隘な2Kである。

 我が家の耐震性が十分では無いと、命、生活、財産、すべてが奪われる。万一、勤めている会社もダメージを受けた場合には、生活の糧も失われる。地震直後は、生き残った喜びからユートピア状態になるようだが、その後は、現実を前に苦しみ、心の病に冒されていく。

 地震の怖さは同時に多数の犠牲者が 発生し、私たちの日常の対応力を超えることにある。その典型は医療の問題である。同時に大量の負傷者が出たとき、病院や自身も被災している医療関係者では 対応が困難となる。混乱を避けるには、患者の優先順位付けが必要になる。これは「トリアージ」と呼ばれ、葡萄の選別を意味する。命を救える重篤者が最優先 である。

 死者に対しても同じである。同時に 多数の遺体が出た場合、棺すら用意できない。火葬の処理能力を超える。火葬場が倒壊する場合もある。生き残った被災者は、遺体と隣合わせで避難生活を行う 必要も出て来る。阪神淡路大震災は冬であったので、問題が少なかったが、夏であれば腐乱の問題も発生する。

 交通機関も途絶する。倒壊した建物が邪魔で、道路には車が溢れ、消防車や救急車などの緊急車両も 通行が難しくなり、消火が送れ、患者の移送も難しくなる。東西の動脈を閉ざせば、部品供給が命の組み立て産業への痛手も大きい。影響は、被災地以外へと広 がる。一歩一歩近づく巨大地震に対して、こんな想像をしたことがあるだろうか? 想像が備えの一歩となる。