地震が作ってくれた豊かな自然と都会生活、でも時に悪戯も!

 地震は私たちに様々な恵みを提供してくれる。そもそも、私たちの国があるのは、プレート運動の おかげである。プレート運動のおかげで、海底に溜ったプランクトンのゴミが集積し、私たちの国が作られた。そして、プレート相互の「おしくら饅頭」によっ て今の日本列島の形ができてきた。図1か ら、日本列島がどのように作られてきたか、想像ができるのではないだろうか? 日本周辺の4枚のプレートの力の均衡の上に今の日本がある。太平洋プレート が潜り込むところには、日本海溝や伊豆・小笠原海溝があり、更に西に200kmくらいのところに火山が南北に並ぶ。これは、潜り込んだプレートが深さ 100kmくらいの所で溶け出してマグマとして噴出することによる。これらが、火山の織りなす風景と心地よい温泉を私たちに恵んでくれた。

 日本列島は、かつては大陸の一部であったが、日本海の拡大や、海のプレートの圧縮に伴って、図2の ように形を変えてきた。西日本と東日本が昔は南北ひっくり返っていたなんて、ちょっと想像しにくいが、その境界が中央構造線である。そして、日本列島の中 心に位置するのが日本アルプスである。東西からの圧縮力によって盛り上がって山ができ、そこにできたクラック(ひび割れ)が活断層である。山の川を縫うよ うに流れる谷筋がそれである。日本人の心のふるさとである山と川が織りなす豊かな風景は、自然の営みの一つである地震が作り上げてくれた。

 私たちの都会生活も同様である。一例として筆者が住む名古屋を覗いてみよう。図3は濃尾平野を中心とする地域の写真の中に、活断層の概略の位置を示したものである。伊勢湾の周辺には伊勢平野、濃尾平野、岡崎平野が広がる。これらの位置は、500万年ほど前には東海湖と呼ばれる巨大な湖だった(図4)。図3図4を比べると、驚くほどその形が似通っている。

 東海湖の周辺では、図3の 中にある活断層が活発に地震を起こした。地震活動によって、養老・桑名・四日市断層の西側が隆起して養老の山を作り、逆に東側が沈降して濃尾平野ができ た。一方、伊勢湾断層を挟んで西側が沈降して伊勢湾ができ、東側が隆起して知多半島ができた。この地域の現在の地形は地震が作ってくれたことになる。

 養老断層から名古屋を横断する断面で濃尾平野を輪切りにしてみると、図5の ようになる。西端にある養老断層には、2000mにも及ぶ基盤の段差がある。養老の山の上からは貝殻の化石も産出されるので、3000m近く基盤がずれた ことになる。兵庫県南部地震級の地震で換算すると、2000回程度経験したことになる。濃尾平野は地震のたびに西側に傾斜しながら沈降し、その上に湖沼や 河川による土砂や泥が堆積して、平らな面である濃尾平野を作ったことになる。濃尾平野の西を見ると、木曽三川が流れ、海抜ゼロメートル地帯が広がってい る。西の方が低地になっていることとも符合する。

 このように、私たちの都会生活も地震が支えている。地震活動でできた平野は都会生活と農業・工業生産の場であり、海は美味しい海産物を恵み、諸外国との 交流も支える。隆起してできた山々は美しい景色と自然の恵みを与え、知多半島では余暇を楽しめる。素晴らしい都会生活を支える仲間達である。これは、名古 屋に限ったことではない。身の回りから、地震のことを考えてみるのは結構楽しいし、地震とも身近につき合うことができる。

  万一、私たちが原始生活をしていたら、地震なんて全く怖くない。きっと、地震は、びっくりしたりワクワクしたりするような揺れでしかないだろう。揺れる場 所に、人工物を沢山作ってしまったから災害が発生する。そして、人が集積すればするほど災害は酷くなる。都市に住むときには地震災害と真剣に向き合う覚悟 が必要である。

図1 日本列島の地質、丸善
図2 平朝彦:日本列島の誕生、岩波書店
図4&5 最新名古屋地盤図、土質工学会中部支部